映画

  • 時代に逆らってブログをやることにした。
  • 文章力、特に長い文を書くことの抵抗を小さくしたいから。

  • あと、人間の気持ち、論理は140文字程度でとどまるものではないから。ツイッターより狭い世界(私のツイッターなんて十分小さいんだけど)で、私の脳内を公開してみたい(キモい)。あわよくば、みんなもブログを始めてください。私はみんなの脳内がもっと見たいから(キモい)。
  • 🍙も言ってたけど、映画などのコンテンツの感想を、公開前提でちゃんと言語化したい。感情を的確に言語化することは、日常生活でもレポート作成でも役立つと思う。
  • などと羅列してみたものの、正直なところ、今まで人の文章を見るだけのことが多かったから、自分でも書きたくなったというのが大きい。出先でも書けるし。小さいツイッターアカウントでも投稿がでもはばかられることも記述したいというのもある。
  • ひとまず今日は、金曜日に見た映画の感想を書きます。「首」と「アナログ」について。一応ネタバレ注意…。

 

 うろ覚えながらも「首」のあらすじを振り返りながら、感想を挟んでみます。

 

 冒頭、戦禍で首を切られた兵が川の中に倒れてるんだけど、その首の断面を小さいカニが数匹這って入り込む。この時点で、若干この映画のチケットを買ったことを後悔する。北野武作品を見てみたいという気持ちが先行し、この映画が時代モノで、題名が「首」だってことを忘れていた。そりゃスパスパ首も飛ぶ。

 

 本能寺の変がテーマで、キャストは、織田信長加瀬亮(かっこいい)、豊臣秀吉北野武(かっこいい)、明智光秀西島秀俊(かっこいい)。誰が何と言おうと、北野武はかっこいい。あと村重?って人が遠藤憲一本能寺の変の一解釈っていう面があるから、歴史をわかっていたほうが良かったって始まってから気づいた。私は、平安とか江戸とかの順番すらわからないが、一応見れはしたぜ。

 

 そもそもなぜ「首」を見たのかというと、もともと「戦場のメリークリスマス」を見て北野武に興味があった中、テレビで「首」の公開に向けた特集をやっていて、加瀬亮という俳優の存在を知った。こんな優しげで柔和そうなイケメンが出る映画見るっきゃないぜ、と思った。実際見てみたら、そのような加瀬亮の面影は皆無で、刀に差したまんじゅうを遠藤憲一に食わせ、刀をぐりぐりやってエンケンの口から血がだらだら流れてるのを見て爆笑していた。

 

 中盤、みんなのいろんな画策が動き、裏切りやらなんやらで結構な人数が死ぬ。特に印象深いのは、エンケンが殺されちゃうところ。そもそもエンケン西島秀俊が恋仲で、西島がどっかに出陣するぜってときにエンケンも気合入れて付いていこうとするんだけど、西島が裏切って、エンケンをなんか箱に閉じ込めて崖から突き落とす。エンケンが嘘だよなって箱の中から西島を凝視して命乞いするんだけど、その尺がまあ長い。西島、なんでそんなことするんだよ。確かにエンケンは仕えてた加瀬亮を裏切ったけど、それは刀でまんじゅう食わされたり殴られたりしたからじゃん。西島もめちゃ殴られてたじゃん。エンケンが可哀想すぎて、たまに流れてくる本人のツイッターの変な画像を思い出して耐えた。エンケンを生かしてたら裏切るかもって思ったのか、天下を取るのを邪魔されるって思ったのか…。

 

 あと、時代柄、男色の描写がめちゃくちゃ多い。エンケンと西島のベッドシーンがあったんだけど、その日の観客が中年男性数人と私しかいなくて、なんで私おっさんたちとおっさんのセックス見てんだと思った。

 

 そして、本能寺で織田信長が死ぬ。炎の中、加瀬亮が寵愛してた男の子は加瀬亮介錯する。いつも一緒にいた黒人でお付きの弥助にも「弥助、お前も俺が介錯してやる」っていうんだけど、弥助は「ファッキンイエローモンキー」みたいな罵声を浴びせて加瀬亮の首切ってどっか持ってった。日本の首切りとか介錯とかの文化、マジで意味不だったろうな。

 

 ほんとの最後には、北野武が途中で死んでた西島?の首を「俺は天下が取れりゃ首なんかどうでもいいんだよ」って蹴っ飛ばして終わった。えーそんな終わり方ありかよー。

 

 個人的には、加瀬亮の狂った暴君ぶりを、スクリーンで見ることに1500円払う価値があったと思う。終わった後、この映画を通して北野武が伝えたかったこととは?とか考えようとしたけど、もしかしたら、映画を通して視聴者にメッセージを…とかいう一般常識に、彼はとらわれていないかもしれないと思った。つまりは、よくわからなかった、ということです。

 

でもなんか面白かったなー(言語化出来てないじゃん)。

 

 「アナログ」も、原作が北野武らしくて前から気になってはいた。「首」を見終わった後、映画館の案内表示を見たら、20分後にレイトショーの上映予定があったから見てみた。

 

 建築士?のニノが自分の設計したカフェに行ったら、めっちゃ美人の波留がいて、建築ほめてくれたからフツーに惚れるってとこから始まる。この段階でニノがめちゃくちゃキモい。ニノが波留のかばんを誉めたら、波留がうれしくて一瞬無言になるんだけど、その一瞬に耐え切れないニノが「あっ、いや、嘘です。何言ってんだって感じですよね、すみません。忘れてください」みたいなキョドり方をして、それがまさに中年オタク男性のそれでめちゃくちゃ気持ちが悪い。もちろんそれはニノの演技力が高いからであって、私はニノのファンです。

 

 二人はなんやかんやいい感じになり、毎週木曜にカフェで会うようになる。しかし、題名の「アナログ」が表すとおり、波留はなぜか携帯を持っておらず、理由もわからず会えないこともあり、これが恋愛映画におけるやきもきフェーズ(私はこういう過程を見るのがなんとなく耐えがたくて、恋愛系のコンテンツは基本見れない)。

 

 しばらくしてニノが波留にプロポーズしようとした週、また波留がカフェに来なくなって、ニノはすごく悩むんだけど携帯を持ってないから理由の知りようもなくて、転勤の話も来ちゃって詰む。二年くらいあと?に、波留は本当は世界的なバイオリニストだったんだけど、いろいろあって辞めてたってことを知ってニノはびっくりなんだけど、さらにプロポーズしようとしていた日、波留が事故に遭っていて、今は寝たきりで意思疎通もできないことも知る。ニノは何とか波留を見つけ出して、波留の介護をするようになり、何年か後に海を見に行ったら、ずっと動けなかった波留が手を動かし、「木曜日」ってニノに言って…というところで終わる。

 

 最後、ステージで波留がニノだけにバイオリンを演奏してみせるシーンで終わる。どういうシーンだったんだろう。リハビリの成果で本当に可能になったのかな。二人の望む未来ってだけかもしれない。このようなニノの献身的な姿勢が本当の愛であると表現していると思わせるシーンはあったけど…答えが出せることではないので考察しない(答えが出なくても考えることに価値があるんだけど、わからないことは考えない癖があって、よくない)。

 

 一番に思ったのは、このような王道とも言える恋愛映画の原作と「首」を作った人が一緒ってマジかよということです。あと、序盤はニノがずっとおどおどしていてキモかったんだけど、後半母親が死んだり波留の介護をさせてくれと頼んだりとめちゃくちゃ頼もしかった。人間って結構こうだよなと思う。というか、私の父親に似ていると思った。この話今度書こ。

 

 恋愛ものは得意じゃないし映画表現に詳しくないから批評はできないけど、ニノの演技力と北野武という人間のつかみどころの無さがよく分かった日でした。

 

全然言語化できてないじゃん!